齋藤武さん

「食の都庄内」を支える庄内人 vol.8


有限会社鳥海山麓齋藤農場

代表取締役

齋藤武さん



齋藤さんと奥様は東京出身。そんなお二人は東京の大学で出会い、就職して北海道に居住。その後、結婚式こそ東京で行いましたが、永住を決めた地、遊佐町で婚姻届を提出しました。
多少の縁があった齋藤さんと違って奥様にとっては縁もゆかりもない土地での生活。苦労を重ねながら夫婦二人三脚で営農し、今では、幻の糯米(もち米)を復活させるなど、大変ご活躍されていらっしゃいます。
今回は、地元若手農家のパイオニアとして輝いている、齋藤武さんにお話を伺いました。

棚田の米屋の物語が、始まった。
─ 東京出身の齋藤さんが遊佐での就農・定住を決めた理由をお聞かせください。

大学を卒業した後、北海道の農業法人で働いていたのですが、いずれ庄内で・・・ということを漠然と考えていました。自分の父が鶴岡、祖父が三川出身だったので言葉が多少わかるし、子供の頃は夏休みの度に来ていたんですよ。でも、来たことがあったのは庄内の南の方だけなんですよね。
ある時、遊佐に足を運ぶことがあったのですが、鳥海山が泰然と構えているんです。遊佐は米がうまいと聞いていたし、何よりも自然環境が抜群です。海も山も川もあります。ひとつの町にこれだけの要素が備わっている遊佐はポテンシャルが高いし、それだけで物語ができると思いました。住んでみないとわからないこともいっぱいありますけどね。
定住を決意した最後の決め手は、なかなか空き家が見つからない地で、運良く、住む家が見つかったことです。
「売れる」から「売る」へ
─ 10種類もの品種の米を栽培していますが、どうしてですか。
3色に見えるのは一枚の田んぼに3種類の稲を植えているから。これも齋藤流。
米も品種によって特徴があり、それぞれ代替えがきかないんです。詰め合わせ販売もやっているのですが、顧客のニーズに応えるためということもありますね。あとは、欲しい人がいればすぐにサンプルを渡せるように現物を確保するためです。
栽培が始まってから2000年以上の歴史があります。でも、自由に作って売れるようになったのはつい最近です。米を腹いっぱい食べられるようになって、次に味の良さが求められるはずなのに、安さが求められるようになってしまったんです。

それが、例えば寿司にもパエリアにも同じ米を使ってしまうことになっていると思うんです。長粒種で香りの良いプリンセスサリーはパエリアやピラフなどの洋食に合うし、パスタのような食感で味の個性が強すぎないオオチカラは米粉麺の原料にするととてもおいしい麺ができます。“食の都”の観点からも、料理ごとに使い分けをするのは重要だと思うし、行政にバックアップして欲しい部分ですね。ただ、販路を拡大しようとして卸ルートに乗せてしまうと価格に跳ね返ってきてしまうので、一般スーパーなどに置けないのが悩みです。値段の高さが普及の妨げになっているんです。

幻への挑戦
─ 心を揺さぶられて始まった、彦太郎糯の復活劇。
時代をこえて復活した彦太郎糯

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庄内は民間育種が盛んな土地柄ですが、遊佐来歴とはっきりしているのが彦太郎糯でした。それも、うるち米の“亀ノ尾”と比肩するような品種なんです。かつては東北各地で栽培されていたこともあったのですが、稲の背丈が高く倒伏しやすいため、機械作業での対応ができず、廃れていったんです。一度途絶えかけた栽培ですが「遊佐にいる自分たちが作らなくてどうする!?」という思いから若手農業者有志で平成17年に“ままくぅ”という生産グループを立ち上げて栽培を始めました。
しかし、当時食べていたであろう60代くらいの方に話を聞いても、みなさん味を覚えていなかったんですね。かといってまずかったという返事もなく、不安な気持ちを抱えながら、全くの手探り状態で始めました。本当に貴重な苗を手植えで1本1本植え、3年目でやっと食べられるだけの収穫量があがったのですが、初めて食べた時は驚きました。コクのある食味に加え、現代品種にはない独特の香りがあったんです。彦太郎糯の特徴ですね。
その時、遊佐の特産品とするべく彦太郎糯の栽培を続けていく決心をしました。



過去から今、そして未来へ続ける、遊佐の物語。
─ 遊佐で作るお米の魅力そしてこれからの課題をお聞かせください。
彦太郎糯の苗
今年の稲も順調に育っています。
水のきれいな田んぼには、おたまじゃくしやアメンボがスイスイ泳いでいます。
遊佐山間部は標高が高く気温も低いので、収量を多く撮ることはできません。しかし、例えばプリンセスサリーの場合、平野部より香りが高く品質の良い米が採れるんです。厳しい条件ですが栽培方法の工夫で、品質の良いものも得られるのです。それから、うちでは特別栽培米を作っていますが、山形県の基準よりはるかに厳しい自主基準で栽培しています。安全・安心が目に見えますよね。
欲しい人と作る人は小さな点と点です。今後はそれを線で結びつける役割も担っていきたいと思っています。私自身、彦太郎糯を欲しい人がいるのに販売を断らざるを得なかった、というもどかしい経験があります。

地元で評価されなかったものが、他で評価されることもあります。これからはもっともっと販売戦略を考えていかなければなりません。遊佐にはまだ掘り起こされていない宝があると思いますし、それも発信していきたいと思っています。

─ 今後、齋藤さんがやりたいと思っていること、目差していることは何ですか。

料理と品種の関係をもっとPRして欲しいし実践して広めていかなければと思っています。米の可能性はもっともっとあると思うんです。それから、10年の知識を活かして土地に合わせた品種のセッティングなんかもしたいですね。遊佐は県内でも収入が低いんです。なので、農業だけでなく、宿泊を含めた観光を組み合わせて外貨獲得(ここでは町外・県外からの集客の意)できたらいいなじゃないかなぁと思っています。
─ 最後に。栽培の成功もそうですが、その他嬉しかったことは何ですか?プライベートでも(笑)

通帳の残高が増えることです(笑)
それは、単にお金が入るということでなく、資金繰りの面で経営が安定してきたということなんです。農業は設備投資に非常にコストがかかります。支払い期を預貯金からの補填なしで乗り切るということは、借金が減っているという大きな意味があるんです。まぁ、借金がなくなった頃にモノが片っ端から壊れていったりするんですけどね。

齋藤武さん Saito Takeshi

有限会社鳥海山麓齋藤農場 代表取締役
有限責任事業組合ままくぅ 米穀検査担当

平成13年に10aから始めた畑は、初年で30aという販売農家の基準をクリアし50a規模に。7年目に米作りを始めて、今では7.2haもの田んぼを耕しています。
鳥海山の2236(夫婦で見ろ)メートルという高さは、齋藤ご夫婦が鳥海山に導かれてこの地にやってきた証かもしれません。

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