「ひと」Cheer!! 〜 「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜

<Cheer !!〜「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜>

vol.11 –有限会社 三郷原牧場 上野聖喜さん

「食の都庄内」を支える若手料理人やスタッフ、生産者たちの人となりや想いを掘り下げ、庄内の“食”に関わる仕事の魅力をお伝えするシリーズ、<Cheer !!(チアー)〜「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜>。
第11弾である今回お話を伺うのは、養豚・堆肥製造販売事業を行っている有限会社三郷原牧場(さんごうはらぼくじょう)の常務取締役・上野聖喜(うえのせいき)さんです。

上野さんは2015年に大学を卒業した後、宮崎の養豚場で1年の修行を経て実家である有限会社三郷原牧場にUターン。翌年には1年間スイスのゾロトゥルン州にて海外農業研修を行うなど、場所にとらわれない自由な発想と行動力で養豚の現場に向き合っています。
今回はそんな上野さんに、家業を継ぐに至った経緯や将来的な目標などについてお話を伺いました。

 
※2023年10月に取材した内容となります。
 
◇家業を継ぐことへの責任感と抵抗
1993年、旧余目町(現庄内町)生まれ。上野さんは、養豚業を営む両親の元、4人きょうだいの末っ子として育った。幼い頃から身近に豚はいたが頻繁に手伝うこともなく、特に親から家を継げといわれたことはなかったが、上の姉や兄が全員県外に進学や就職をしたこともあり、漠然と「自分が家業を守らなければいけないのかな・・・」というプレッシャーを感じていたという。
 
それでも敷かれたレールにそのまま乗っかることへの抵抗感があり、大学進学を機に外、できれば東京に出たいという思いがあった上野さん。農業高校に進学すれば自分のバックグラウンドも後押しして東京農業大学の自己推薦を狙えるのではないかと考え、庄内農業高等学校に入学した。一年目から生徒会役員となり、最終的には生徒会長も務め、目標どおり推薦で合格。2011年4月に東京農業大学畜産学科へと進学した。

 
◇覚悟が決まった大学生活

大学の友人たちと(上野さん右端)

「畜産学科に進学するからにはいよいよ家業を継ぐコースかな、と思っていたのですが、入学直前に東日本大震災が起きたことがきっかけで、それまで東京で全く関係のない仕事をしていた兄が家業を手伝うことになって。あれ?俺は?なんて思ったりもしましたけど。」と、上野さんは笑いながら当時のことを振り返る。
 
畜産学科の生徒数は一学年250人程度。畜産学科というからには牛や豚や鳥などの畜産業を営む家庭の跡継ぎばかりなのかなと思っていたが、実際入ってみると畜産農家出身の生徒は一割もいないくらいの少数だった。すると自然と同じ畜産農家出身の生徒同士での飲み会や、全国で畜産をやっている人たちのサークル活動に参加するようになり、横や縦のつながりが出来てきた。
 
正直なところ、それまではそこまで家業に対して熱い想いを持っていたわけではなかった上野さん。東京は実際に行ってみてもやはり魅力的な場所で、遊びに行くにしてもごはんを食べるにしてもその選択肢の多さに驚いたし、楽しかった。
しかし、大学生ながらも家の経営状況を知っていたり、畜産の現場の知識を語ったりと熱意を持って畜産業に向き合っている友人たちの姿を見て、「みんなプライドを持っていてかっこいいな」と思うようになる。そして徐々に家業に興味を持つようになり、自然と「家を継ぎたい」という気持ちが湧いてきたという。

宮崎時代の写真

決意が固まってからの上野さんの行動は早かった。どうせやるならば日本の畜産のトップの現場で学びたいと思い、畜産王国である南九州に行ってみたいと父に相談。2015年の大学卒業後、父が紹介してくれた宮崎の養豚場に一年間の約束で就職し、一から養豚のノウハウを教えてもらった。
 
その後、2016年に山形に帰郷。家業の三郷原牧場に就職しながら「海外の畜産現場も見てみたい」と、国際農業者交流協会(JAEC)の海外農業研修に参加すべく一年間国内研修を受け、翌年から1年間休職をしてスイスのゾロトゥルン州へと留学した。
「日本のトップの畜産を見たから、次は世界の農業先進国の畜産を見てみたいと思ったんです。元々父も若い頃に同じようにスイスに行っていたことがあり、幼い頃からその話を聞いていたことも大きかったと思います。
選択肢に最初から山形、日本だけでなく海外が入っていたのは父の影響が大きいですね。」と上野さんは語る。
 
ドイツやスイスなどヨーロッパの畜産先進国では、アニマルウェルフェア(※)が重視されおり、放牧豚なども多い。様々な制約がある中で“豚も人もWin-Win”になるためのやり方が体系化されているという。当然ながらもう少し残って勉強したいという気持ちが芽生えたことも少なからずあったが、そういったやり方を見たときに改めて「この技術を日本に持ち帰ったらどうなるだろう」と考えるようになり、1年の海外研修を経て再び三郷原牧場へと戻った。

 

スイスの研修先の牧場で

(※)アニマルウェルフェアとは
感受性を持つ生き物としての家畜に心を寄り添わせ、誕生から死を迎えるまでの間、ストレスをできる限り少なく、行動要求が満たされた、健康的な暮らしができる飼育方法をめざす畜産のあり方のことです。
近代的な集約畜産は国民の食を支えてきましたが、生産効率を重視した品種改良や、大量の濃厚飼料を与えた飼育管理などによって、家畜に過度の負担を強いてきた実態があります。世界に目を向けると、そうした畜産のあり方を反省するなかで「5つの自由」の原則が提唱され、実践が重ねられています。
(「一般社団法人 アニマルウェルフェア畜産協会」HPより引用)
 
◇畜産業界をもっとオープンに
現在、上野さんは主に肥育・出荷担当として生まれた豚を出荷するまで育てる仕事と、採用人事を担っている。仕事のやりがいを尋ねると、こう答えた。
「やっぱり結果が出るときは嬉しいです。出荷後に食肉公社から格付け表が送られてきて、出荷した肉質を『上、中、並』と評価されるんです。『上』が多いとやっぱり嬉しいですね。そして何より、食べてくれた人から美味しいといっていただけた時が一番嬉しいです。」
 
そんな上野さんの将来的な大きな目標は、“畜産という産業文化をもっとオープンにしていくこと”だ。
畜産は仕事のなかで動物を殺すという過程があったり、病気の防疫などの観点から簡単に見学もさせられなかったりと、どうしても表に出てきづらい要素が多い。しかしそれでは、次世代を担う人たちが畜産をやりたいと思う訳がない。そう思い、数年前から通常業務に加え、InstagramなどのSNSや自社ウェブサイトでの発信など広報の役割も担っているという。
「発信はやっぱり難しいなと思いながらやっています。留学していたスイスのようにアニマルウェルフェアが進んだ国では、畜産の現場をオープンにしたところで一般の人から批判される要素がないくらいでした。現在、日本の養豚の一般的なやり方は豚舎の中で多数の豚を育てるスタイルですが、アニマルウェルフェアが進めば、畜産の現場をオープンに出来ると思います。僕自身、農場が手に入れば是非放牧豚などスイスから持ち帰った技術で豚を育ててみたいです。」
 
さらに、上野さんは職場の働く環境改善にも取り組んでいる。生き物と向き合う現場のため必ず毎日仕事があるが、スタッフでシフトを調整して土日のどちらかは休めるようにしたり、有給休暇や育児休暇なども気兼ねなく取得できたりするように整え、自身も育児休暇を取得したという。「くさい、汚い、きつい」という畜産業界へのイメージを払拭し、次世代を担う若い方々にも畜産業界に興味を持ってもらいたい、と上野さんは意気込みを語ってくれた。

 
最後に、生産者の仕事に興味がある方へのメッセージをお願いすると、上野さんはこう答えた。
「今まで自分や自分の家族が生きてきた身体を作っている食べものには、それを作っている生産者が必ずいる。そこの一角を担えることは素晴らしい職業だと思うし、もっとみんなにその素晴らしさを知って欲しい。
大根はスーパーにそのまま生えてない、もも肉はそこら辺をそのまま歩いていない。それを周知するのも含めて仕事、の時代になっていると思うので、是非農業をもっと知ってほしいし、こちらからもシェアしていきたいです。」
 
【企業情報】
社名:有限会社三郷原牧場
場所:〒999-7722 山形県東田川郡庄内町小出新田 字西割16-2
電話:0234-42-1517
公式サイト:https://sangoharafarm.com/

 

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