「ひと」Cheer!! 〜 「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜

<Cheer !!〜「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜>

vol.14 –はらぺこファーム 髙橋紀子さん

「食の都庄内」を支える若手料理人やスタッフ、生産者たちの人となりや想いを掘り下げ、庄内の“食”に関わる仕事の魅力をお伝えするシリーズ<Cheer !!(チアー)〜「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜>。今回は、庄内町でジャムやソースなどの加工を手掛ける「はらぺこファーム」代表の髙橋紀子さんを訪ねました。
 
髙橋さんは、全国的にも希少なラズベリーを余目駅から車で10分、最上川にほど近い庄内町連枝(れんし)で2001年から作付けし始めました。日持ちがしないという点を観光農園とジャム加工により、多くの方に味わってもらえるよう、2003年に加工所を建てて「はらぺこファーム」としてスタートしました。
 
実家の農家を継ぎ、ラズベリー栽培・加工という新しいことにチャレンジしてきた経緯や、農家として地域で生きることへの思いをお聞きしました。
 
※2024年7月に取材した内容となります。
 

◇自宅敷地に1日で400人が来場、はらぺこマルシェに込めた思い

夏の暑さにも負けず、子供も大人も楽しんだ「はらぺこマルシェ」

快晴の7月21日、庄内町連枝にあるはらぺこファーム自宅敷地内で開かれた「はらぺこマルシェ」。マジックやジャグリング、民謡、紙芝居など楽しみ満載のステージに、20以上のフードやクラフトのお店が並び、子供たちからお年寄りまで約400人がやってきた。以前はラズベリー畑で開いていたイベントを「農家のお祭り」スタイルで自宅敷地を使い3年前に再開。主催した髙橋紀子さんにとって、ここ10年来考えてきた「地域で農家が暮らすこと」「地域で感情を共有すること」を形にした場だった。
 
連枝集落では、お祭りがここ10数年止まったまま。集落内の農家が減って、栽培方法もばらばらで、かつての「さなぶり」(田植え後に行うお祝い)のようなみんなの思いを共有する場がなくなってしまったと感じていた。「価値観が違ってもお互いが認め合えて、頑張ってるな、楽しいな、という感情を共有できないか。」
 

 

屋外にはフードテント、ガレージにはクラフトブースがずらり。

 

ヒントになったのは、農業だけでなく介護事業にも携わっている愛媛県の農事組合法人・無茶々園だった。「20歳のとき1週間くらいお世話になり、手広く事業を広げるのは高齢化する地域を自立して支えていくためだと聞いて。地域で暮らすことはただお金を稼げばいいだけではないんだと、その発想に驚きました。」
 
39歳で再訪したら、一度村を出た若者が帰ってきて地域を支えていた。帰ってくるきっかけが祭りの存在だったという。「都会で自分がそこに暮らす意味が見出せなくなった頃に、『村の祭りにはお前がいねえとだめなんだから、また帰ってこいよ』って言われたそう。祭りって、自分が地域にいることの価値をすごく明確にしてくれるんだな、いいなとぼんやり思ったんです。たった1日だけど、楽しかった、この地域の子でよかったって、思ってもらえるような瞬間を作り出せると、何か未来が変わるかもしれないって。」
 
髙橋さんも、一度地元を離れて、生まれた土地に戻ってきた経験者。前向きに新しいことにチャレンジしながら、土地と切り離せない農業と向き合ってきた。
 

◇農業は、自分が根を下ろす土地を知ることから始まる

学生時代の高橋さん。

髙橋さんは、コメと酪農と花を育てる農家の二人姉妹の長女として誕生。高校卒業後は北海道江別市にある酪農学園大学に進学した。実家の富樫家は江戸時代から続く農家だ。
 
「『農家を継ぐ』と言えばみんなが安心するのも分かっていたし、それでいいやと思っていた。ただ『結婚するなら婿に来てくれる人しかだめ』という農家の世界の普通と、外の世界の普通があまりに離れていて、抵抗する時期もありました。」
 
周りが就職活動に忙しくなる大学3年、農家を継ぐことだけは決まっているけど、じゃあ何がしたいのか、先が見えなくなった。そのとき思い出したのが、2年時の実習先の畑で雑草として捨て置かれていたラズベリー。調べてみれば、国内では産地が形成されていない。チャンスだと思った。
 
大学卒業後、長野県原村の八ヶ岳中央農業実践大学校に入学。学校に頼んで週に2~3日、近くのラズベリー農家で実習した。その農家の紹介で出荷先のジャム屋でも学び、群馬県の花農家と埼玉県秩父市のイチゴ観光農園ではそれぞれ1か月間、実習した。とにかく必死にいろんな知識を吸収したという。
 
「どこの農家もなんとなくすごい農法を採用しているわけではなくて、自分のところの不利な条件をどう克服するか、考えてやり方が決まっていた。よそに行ってみて初めて、自分が根をおろす土地の有利なところ、不利なところを知らないと手を打てないことに気付いたんです。」
 

 

◇ラズベリーの観光農園とジャム加工で弱点を乗り越える

ラズベリーやブラックベリーのソースに、お湯を溶かして飲む「あったまっ茶」も人気商品。

2001年、23歳で庄内に帰り就農。夫の直之さんと結婚して髙橋姓となったが、夫は一緒に農家になり、稲作を担当してくれている。
 
26歳で借金して加工所を建てた。ラズベリーは収穫から半日で鮮度が落ちるので、市場に出すのは難しい。不利を克服する方法が、観光農園とジャム加工だった。「新鮮なラズベリーをお客さんに収穫してもらい、その体験が生食できない期間に『じゃあ、はらぺこさんのジャム買おう』っていうPRになってくれる。そういう循環をしていこう。」
 

鶴岡市羽黒町の果樹園「フルーツガーデン」さんから委託を受けて作っている、シャインマスカットやサクランボのジャム。

加工場を建てたことを知った地域の農家から「台風で落ちた実をなんとかならねが」と相談されて、受託加工も始めた。いまでは自分のオリジナルジャムの収入よりも受託加工品の方が上回っているという。
 
子育てと仕事の両立は人との出会いに助けられて

背丈ほどのブラックベリーに囲まれて。ブラックベリーは黒くなったら食べごろ。

就農と同時に結婚し、24歳で長男を出産した。子育ても仕事もいっぱいいっぱい。でも、子供が子育てサークルに通う時期には子育てサークルが農園体験にやってきて、子供が幼稚園に入ると幼稚園の遠足の場に。小学校では2年生の地域学習、中学校になったら職場体験…と子育てと仕事がずっとリンクしていた。
 
「子育てをきっかけに理解してくれる人とつながれて、仕事を増やしていけた。ありがたかった。上司や教えてくれる人がいなかったから、とにかく素直に話してコミュニケーションをとって、引き上げてくれる人と出会う。それしか進む方法がなかったから。」
 
 

高校生の娘さんが、イベントのために直之さんと一緒に色を塗り作ってくれた看板。木で出来た昔の苗箱を利用している。

はらぺこファームの歩みとともに、長男は大学生、長女は高校生に成長した。人と出会い、自分で売り方を考えていく母親の姿に、仕事の面白さや大変さ、自分で変えていける可能性を感じ取ってもらえたらうれしい。
 
「若い世代には自分が好きなことを追求していってほしいです。いつかは苦手なことを通らなくてはいけない時期が来るけど、好きなことを続けるために頑張るって壁を乗り越える原動力に変わるから。問題のない仕事なんてない。なんでも面白いって思った方がいい。楽しいと大変は表裏一体。大変だけど乗り越えたときは何倍も楽しいですからね!」
 

 

これからは昔ながらの味を引き継いで次世代へ

昨年から、赤飯やおむすびなど惣菜も作り始めた。はらぺこファームらしい手書きのイラストにほっこりする。

 


5~6年前から猛暑の影響でラズベリーの害虫被害が止められなくなった。観光農園も難しくなり、現在は栽培面積を5アールに縮小し、3年前に植えなおした新品種と暑さに強いブラックベリーを育てている。仕事の中身は変えざるを得なくなったが、あくまでもポジティブな変化だ。
 
はらぺこファームは2023年に「そうざい製造業」を取得した。「赤飯や海苔巻き、おこわみたいな伝統のごはんを作ってみたいと思っていたんです。ジャムなどの瓶詰も作りながら、地域のお母さんの技術を引き継いで次の世代に味を残す活動をしていきたいと思っています。」
 
不利を乗り越え、地域をつなげていくための次の一歩へ。
 
【工房情報】
はらぺこファーム
場所:山形県東田川郡庄内町連枝字沼端149
電話番号:090-1491-4409
公式Facebook:はらぺこファーム | Facebook



文・写真:金井由香

 

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