「ひと」Cheer!! 〜 「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜
<Cheer !!〜「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜>
vol.3-日本料理わたなべ 料理長 渡部 賢さん
「食の都庄内」を支える若手料理人やスタッフ、生産者たちの人となりや想いを掘り下げ、庄内の“食”に関わる仕事の魅力をお伝えするシリーズ、<Cheer !!(チアー)〜「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜>。
第三弾である今回お話を伺うのは、鶴岡市野田目(旧藤島町)にある「日本料理 わたなべ」の料理長・渡部賢さんです。
渡部さんは、農家であり日本料理の板前でもあるという異色の肩書きの持ち主。農業をする傍ら、農閑期の11月〜3月限定で日本料理店を営業。自ら収穫した米や野菜をはじめとした庄内の新鮮な食材で丁寧に作られた日本料理は、老若男女問わず多くの方に愛されています。
今回は、そんな渡部さんに、農家と板前の両立という独特のスタイルを確立するに至った経緯や、食材へのこだわりについてお話を伺いました。
※2022年1月に取材した内容となります。
第三弾である今回お話を伺うのは、鶴岡市野田目(旧藤島町)にある「日本料理 わたなべ」の料理長・渡部賢さんです。
渡部さんは、農家であり日本料理の板前でもあるという異色の肩書きの持ち主。農業をする傍ら、農閑期の11月〜3月限定で日本料理店を営業。自ら収穫した米や野菜をはじめとした庄内の新鮮な食材で丁寧に作られた日本料理は、老若男女問わず多くの方に愛されています。
今回は、そんな渡部さんに、農家と板前の両立という独特のスタイルを確立するに至った経緯や、食材へのこだわりについてお話を伺いました。
※2022年1月に取材した内容となります。
◇料理人がいつの間にか“憧れ”から“目標”に
渡部さんは、1977年(昭和52年)旧藤島町(現鶴岡市藤島地区)にて、三人姉弟の末っ子かつ長男として生まれた。
実家は代々続く農家で、米や大豆をはじめ、さつまいもや長芋、白菜、ニンニクなど様々な野菜を育てる。幼い頃から遊びながら農作業を手伝っていた渡部さんだったが、当時は農家をやりたいとは思っていなかったという。
一方、料理上手な母や、「ミスター味っ子」、「美味しんぼ」などの料理ものの漫画やアニメの影響もあり、自然と料理を作ることに興味を持つように。小学校低学年から少しずつ料理を始め、中学に入る頃には家に遊びに来た友人にパスタやカレーを振舞うようになっていった。
高校生の頃には、当時人気だったテレビ番組「料理の鉄人」を見て「料理人ってかっこいいな」と思い始める。最初はただ漠然と憧れていただけだったが、進路を決める時期に差し掛かった時にふと「料理人が向いているのかもしれない」と思い立つ。ならば、日本人なんだから日本料理人を目指そう。一念発起した渡部さんは服部栄養専門学校へと進学することを決意、18歳で地元を離れ上京した。
実家は代々続く農家で、米や大豆をはじめ、さつまいもや長芋、白菜、ニンニクなど様々な野菜を育てる。幼い頃から遊びながら農作業を手伝っていた渡部さんだったが、当時は農家をやりたいとは思っていなかったという。
一方、料理上手な母や、「ミスター味っ子」、「美味しんぼ」などの料理ものの漫画やアニメの影響もあり、自然と料理を作ることに興味を持つように。小学校低学年から少しずつ料理を始め、中学に入る頃には家に遊びに来た友人にパスタやカレーを振舞うようになっていった。
高校生の頃には、当時人気だったテレビ番組「料理の鉄人」を見て「料理人ってかっこいいな」と思い始める。最初はただ漠然と憧れていただけだったが、進路を決める時期に差し掛かった時にふと「料理人が向いているのかもしれない」と思い立つ。ならば、日本人なんだから日本料理人を目指そう。一念発起した渡部さんは服部栄養専門学校へと進学することを決意、18歳で地元を離れ上京した。
◇がむしゃらに料理に向き合った修行時代
修業時代のお写真(左から2番目)
それまで料理は好きだったものの体系的に学んだことはなかった渡部さん。専門学校では調理実習をメインに、食品学、調理学、栄養学など、料理に関する様々な知識を学んだ。何より嬉しかったのは、「料理の鉄人」たちに直接指導してもらえたこと。テレビで見て憧れていた有名な料理人たちの授業を受けるのは、渡部さんにとって大きな刺激になった。
専門学校を卒業した後は、いよいよ日本料理店で修行を開始。ただでさえ厳しい板前の世界だったが、「日本料理をやるにはいろんなことができなければならない」と思っていた渡部さんは、なんと空いた時間で他のお店で調理スタッフとしてアルバイトを始めたのだ。蕎麦屋やイタリアン、中華料理店までジャンルは様々。時には数ヶ月間見習いとしてホールスタッフをすることもあった。家と職場の往復で毎日が終わり、たまの休みの日は様々なお店を食べ歩く。まさに“料理漬け”の日々を過ごした。
専門学校を卒業した後は、いよいよ日本料理店で修行を開始。ただでさえ厳しい板前の世界だったが、「日本料理をやるにはいろんなことができなければならない」と思っていた渡部さんは、なんと空いた時間で他のお店で調理スタッフとしてアルバイトを始めたのだ。蕎麦屋やイタリアン、中華料理店までジャンルは様々。時には数ヶ月間見習いとしてホールスタッフをすることもあった。家と職場の往復で毎日が終わり、たまの休みの日は様々なお店を食べ歩く。まさに“料理漬け”の日々を過ごした。
実は元々、中学生の時には走高跳で全国大会に出るほどのスポーツマンだったという渡部さん。その実力を買われスポーツ推薦で羽黒高校に入学したが、高校では徐々に記録が伸び悩むように。大会で思うような結果が残せないと、それまでちやほやしていた周りの態度も目に見えて変わっていくのがわかり、初めて大きな挫折を味わったという。
「これまでそんなに努力をしなくても記録が良かったこともあり、あまり練習をしてこなかったためにこうなってしまった。だから自分は社会人になったら人一倍頑張らないといけない、という意識が強かったんです。」
悔しい思いをした高校時代だったが、結果的にこの経験が料理人としての渡部さんの原動力となったのだった。
「これまでそんなに努力をしなくても記録が良かったこともあり、あまり練習をしてこなかったためにこうなってしまった。だから自分は社会人になったら人一倍頑張らないといけない、という意識が強かったんです。」
悔しい思いをした高校時代だったが、結果的にこの経験が料理人としての渡部さんの原動力となったのだった。
◇離れて気づいた庄内の食材の魅力
料理人を目指し始めた時から、目標は「自分の店を持つこと」。当初はやはり東京で、と思っていた渡部さんだったが、次第に変化が訪れる。
「最初の頃は、修行をして“秘密の隠し味”を知りたいと思っていました。でも修行を重ねるにつれ、“足す”のではなく“引く”、素材を活かした料理の方が結局美味しいな、と実感するようになったんです。」
料理のテクニックだけではなく素材にも興味を持つようになった頃、東京では手に入りづらいが日本料理ではよく使われる「たらの芽」や「こごみ」などの食材が庄内産だということを知り、庄内の食材の豊富さに気付く。当時、アル・ケッチァーノ奥田シェフ(「食の都庄内」親善大使)が、地元農家とコラボレーションし、その土地ならではの料理を作りだしていることが、注目されていた。それを見て、「そういえば、俺、農家だな。」と思うようになった。
毎年実家に帰省する度に母親から「帰って農業を継ぎなさい」と言われていたことも重なり、東京に修行に出て10年が経った2005年(平成17年)、渡部さんは28歳で地元へと帰ることを決意した。
「最初の頃は、修行をして“秘密の隠し味”を知りたいと思っていました。でも修行を重ねるにつれ、“足す”のではなく“引く”、素材を活かした料理の方が結局美味しいな、と実感するようになったんです。」
料理のテクニックだけではなく素材にも興味を持つようになった頃、東京では手に入りづらいが日本料理ではよく使われる「たらの芽」や「こごみ」などの食材が庄内産だということを知り、庄内の食材の豊富さに気付く。当時、アル・ケッチァーノ奥田シェフ(「食の都庄内」親善大使)が、地元農家とコラボレーションし、その土地ならではの料理を作りだしていることが、注目されていた。それを見て、「そういえば、俺、農家だな。」と思うようになった。
毎年実家に帰省する度に母親から「帰って農業を継ぎなさい」と言われていたことも重なり、東京に修行に出て10年が経った2005年(平成17年)、渡部さんは28歳で地元へと帰ることを決意した。
◇諦めずに模索した農家と板前両立への道
帰ってから1年ほどは農業に主軸を置いていたが、自分の店を持つという夢がどうしても諦めきれず、あつみ温泉たちばなやで再び修行を始めることに。普段は寮生活のため、休みの日に農業を手伝うという生活にシフトした。
しかし、日本料理の板前と農家の両立は決して甘くはない。両親に農業をしながら日本料理のお店を出したいと話すと、「農業をやりながらは無理だ」と猛反対された。はじめは「農家レストランもあるのになんでだ」と反発していた渡部さんだったが、次第にその理由を身をもって知る。農作業をやると汗をかくため、塩気のあるものが食べたくなってしまうのだ。繊細な日本料理の味を決める上で、それは大きな障害だった。
しかし、日本料理の板前と農家の両立は決して甘くはない。両親に農業をしながら日本料理のお店を出したいと話すと、「農業をやりながらは無理だ」と猛反対された。はじめは「農家レストランもあるのになんでだ」と反発していた渡部さんだったが、次第にその理由を身をもって知る。農作業をやると汗をかくため、塩気のあるものが食べたくなってしまうのだ。繊細な日本料理の味を決める上で、それは大きな障害だった。
「店を持てなければ、今まで自分なりに必死にやってきたことがなくなってしまうのではないか。」
そんな恐怖心に駆られながら、渡部さんはなんとか板前と農家を両立できる方法を模索した。そして辿り着いたのが、農閑期、つまり冬期間だけ営業するという現在のスタイルだ。なんとか両親を説得し、2014年(平成26年)自宅の敷地内に「日本料理 わたなべ」をオープン。はじめは不安だらけだったというが、徐々に評判が評判を呼び、今では客足が途絶えない人気店へと成長した。2021年(令和3年)には「鶴岡市卓越技能者」として表彰されるなど、鶴岡を代表する若手料理人の一人として活躍の場を広げている。
そんな恐怖心に駆られながら、渡部さんはなんとか板前と農家を両立できる方法を模索した。そして辿り着いたのが、農閑期、つまり冬期間だけ営業するという現在のスタイルだ。なんとか両親を説得し、2014年(平成26年)自宅の敷地内に「日本料理 わたなべ」をオープン。はじめは不安だらけだったというが、徐々に評判が評判を呼び、今では客足が
さらに、2019年(令和元年)には「荘内松柏会(鶴岡市)」という新米のコンテストで渡部さんの作ったつや姫が最高賞の特賞・優秀杯(県知事賞)を受賞。名実ともに板前と農家を両立してみせたのだった。
◇自家製、地元産にこだわった優しい日本料理
岩海苔のお米サラダ
「『お客さんは“舌”で帰って来る』ということと、『わざわざここまで来てもらっている』ということ。オープン当初からこの二つは忘れないようにしています。」
そう語る渡部さんの料理は、日本料理ならではの繊細な美しさがありながらも、どこか温かさのある気取らないものばかりだ。お店の自慢は、何と言っても自らが育てたお米や野菜と、麹や味噌、醤油の実といった自家製の調味料。自家で栽培していない食材は、地元の市場や知り合いの農家や漁師から卸してもらっている。
ユネスコ食文化創造都市に認定されている鶴岡市では、鶴岡食文化創造都市推進協議会が中心となって料理人と生産者を繋げる機会が多く提供されている。そのため、他の生産者とも気づいたら繋がっているのだそうだ。
地元産の新鮮な食材の味を活かして作られた優しい日本料理は、ついつい箸が進んでしまう美味しさだ。
そう語る渡部さんの料理は、日本料理ならではの繊細な美しさがありながらも、どこか温かさのある気取らないものばかりだ。お店の自慢は、何と言っても自らが育てたお米や野菜と、麹や味噌、醤油の実といった自家製の調味料。自家で栽培していない食材は、地元の市場や知り合いの農家や漁師から卸してもらっている。
ユネスコ食文化創造都市に認定されている鶴岡市では、鶴岡食文化創造都市推進協議会が中心となって料理人と生産者を繋げる機会が多く提供されている。そのため、他の生産者とも気づいたら繋がっているのだそうだ。
地元産の新鮮な食材の味を活かして作られた優しい日本料理は、ついつい箸が進んでしまう美味しさだ。
さらに驚くのはその品数とボリューム。日本料理といえばヘルシーな反面少量な印象があるが、日本料理わたなべでは次から次へと運ばれて来た料理がたちまちテーブルの上を埋め尽くす。しかも、昼夜ともにおひついっぱいの炊きたてご飯が頂けるので、たくさん食べたい、という方にも自信を持っておすすめできる。渡部さんの心がけどおり、食べ終わった後「今度はあの人を連れてまた来たい」と思わせてくれる料理の数々だった。
◇農家で板前、だからこそできることを
自分の店を持つという目標は達成した今、渡部さんの次の目標は地元の生産者を盛り上げて行くことだ。
「自分は農家のしんどさを誰よりもよくわかっているし、作る料理を通して庄内の良さを表現することができる。だからこそ、自分が庄内の食材の良さを伝えていけるようになりたいですね。」
農家であり板前。一見両立は不可能に思われる二つの職業だが、どちらにも本気で向き合って来た渡部さんだからこそ伝えられることがある。まずは地元藤島、鶴岡、そして庄内。身近なところから少しずつ、地域の可能性を広げていきたいという、渡部さんの強い意志が感じられた。
最後に、食に携わる仕事に興味がある方へのメッセージをお願いすると、渡部さんはこう答えた。
「是非、第一線で働く人に触れてみて欲しい。庄内には、農業体験や、地元の料理人による料理教室などのイベントもたくさんある。まずは近くに行って、話を聞いたり、料理を食べたりして、自分の五感で食に携わる仕事を感じてみてください。」
【店舗情報】
店名:日本料理わたなべ
場所:〒999-7636 山形県鶴岡市野田目字家ノ腰41-2
アクセス:JR藤島駅から車で約6分
電話:0235-64-0031
駐車場:あり(11台)
駐車料金:無料
営業時間:11月〜3月【昼】11:30〜14:00/【夜】18:00〜21:00
定休日:4月〜10月、不定休
公式サイト:https://nihonryouri-watanabe.com/
「自分は農家のしんどさを誰よりもよくわかっているし、作る料理を通して庄内の良さを表現することができる。だからこそ、自分が庄内の食材の良さを伝えていけるようになりたいですね。」
農家であり板前。一見両立は不可能に思われる二つの職業だが、どちらにも本気で向き合って来た渡部さんだからこそ伝えられることがある。まずは地元藤島、鶴岡、そして庄内。身近なところから少しずつ、地域の可能性を広げていきたいという、渡部さんの強い意志が感じられた。
最後に、食に携わる仕事に興味がある方へのメッセージをお願いすると、渡部さんはこう答えた。
「是非、第一線で働く人に触れてみて欲しい。庄内には、農業体験や、地元の料理人による料理教室などのイベントもたくさんある。まずは近くに行って、話を聞いたり、料理を食べたりして、自分の五感で食に携わる仕事を感じてみてください。」
【店舗情報】
店名:日本料理わたなべ
場所:〒999-7636 山形県鶴岡市野田目字家ノ腰41-2
アクセス:JR藤島駅から車で約6分
電話:0235-64-0031
駐車場:あり(11台)
駐車料金:無料
営業時間:11月〜3月【昼】11:30〜14:00/【夜】18:00〜21:00
定休日:4月〜10月、不定休
公式サイト:https://nihonryouri-watanabe.com/