「ひと」Cheer!! 〜 「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜

<Cheer !!〜「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜>

vol.4 -石塚ファーム (㈱治五左衛門) 石塚 寛一

「食の都庄内」を支える若手料理人やスタッフ、生産者たちの人となりや想いを掘り下げ、庄内の“食”に関わる仕事の魅力をお伝えするシリーズ、<Cheer !!(チアー)〜「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜>。
第四弾である今回お話を伺うのは、鶴岡市にて「石塚ファーム(株式会社 治五左衛門)」を営む石塚寛一(ひろかず)さんです。
 
石塚ファームでは、だだちゃ豆を中心に、米や赤かぶ、ふきのとうなどの野菜を生産。中でもだだちゃ豆は、山形県独自で「高い品質」「安全安心」「自然歴史文化の継承」といった認証基準に基づいて厳選された「山形セレクション」に認定され、最高級の枝豆として高く評価されています。
さらに石塚さんは、複数の研究機関と連携して、農業分野での研究に支援を行ったり、様々な場で講演会等を行ったりするなど、農作物の生産に留まらず幅広く活動しています。
 
今回は、そんな石塚さんに、学生時代に感じた気づきや東京での社会人生活、そして独自の営業スタイルなどについてお話を伺いました。
 
※2022年2月に取材した内容となります。
◇地元を離れて得た“気づき”

海外留学時代

1975年(昭和50年)、鶴岡市生まれ。代々続く農家の長男で、“十五代目治五左衛門”として育った石塚さん。両親の手伝いのためよく田んぼにも足を運んでおり、幼い頃から常に、漠然と「自分は将来農家になるものだ」と思っていたという。
 
そんな石塚さんに最初の転機が訪れたのは、高校時代。元々「農業だけをやっていてはダメだ」という両親の方針もあってか次第に留学に興味を持つようになり、羽黒高校の国際コースへ推薦で入学。高校2年〜3年の約1年間アメリカの高校へと留学した。初めての海外生活は想像以上に楽しかったが、その反面、日本食が恋しくてたまらなくなった。日本にいた時は毎日家で採れた野菜の料理が食卓に並ぶことにうんざりしていたが、無性にそれが食べたくなる。海外では衛生面から卵を生で食べることができない。このとき初めて、「日本食って美味しいな」「日本の食ってすごいな」と感じるようになる。
 
2度目の転機は大学生の頃。留学から帰国後、地元を離れて千葉県にある麗澤(れいたく)大学の国際経済学部(現経済学部)へと進学した石塚さんは、同じ日本食の中でも「庄内の食が美味しかったんだ」と気づく。幼い頃から当たり前に口にしていた採れたての野菜や新鮮な魚、そして季節ごとの旬の食べもの。それらが首都圏に出てみて日本中どこでも当たり前にあるものではないと知り、ショックだったと同時に、「山形、鶴岡っていいな」と思うように。これまでも農業を継ぐことは念頭にあったが、地元を離れて初めて作る側へのリスペクトが生まれ、心から「農業をやりたい」と思うようになった、と石塚さんは話す。
 
◇あえて農家の“敵”・輸入品商社の営業マンに

商社営業マン時代(右から2番目)

2度の転機を経て農家を継ぐことが「しなければいけないこと」から「やりたいこと」へと変わった石塚さんだったが、大学卒業後は地元に戻らず東京にある輸入食品商社へと入社することに。当時、米の代替品でもある小麦をはじめ様々な輸入食品が日本に入ってきていたため、これまでやりたいことをやらせてくれた父からもこの時ばかりは「お前、日本の農家を潰す気か」と言われた。しかし、敵を知らないと対策ができない。数年後戻ってくると約束して親を説得し、商社の営業マンとして働き出した。
 
就職先の商社は外資系の企業だったため、1年目でも実績を上げないといつクビになるかわからない。大手クライアントを相手に営業回りをする日々が続いた。そして、様々な輸入食品を扱ううちに、庄内にある米やだだちゃ豆などの食材は「世界に通用する」という確信めいたものが生まれる。
「親が歳をとってから継ぐのでは遅い。早く戻って経験を積まないとまずい。」
そう思った石塚さんは、入社してから4年ほど経った26歳の頃、地元鶴岡へと戻ることを決意した。
◇営業ノウハウを生かして販路拡大へ
帰郷後、石塚さんはまず新庄にある山形県立農業大学校(現山形県立農林大学校)の研修を受講 。家の農業を手伝いながら週2回学校へと通い、メロンの栽培研修を受けながら農業のノウハウを学んでいった。だだちゃ豆の特徴と言えば濃厚な味わいと甘みだが、学校で学んだメロン栽培の方法が、意外にもだだちゃ豆の甘みの出し方にも活きているのだそうだ。
今でこそ売上の8割をだだちゃ豆が占める石塚ファームだが、実は父の代までは米の生産がメイン。というのも、だだちゃ豆は元々この地域の女性が家庭菜園の延長線上で育てるものだったのだ。普通の枝豆に比べ鮮度が長持ちしないため地元でのみ消費されていたが、30年ほど前運送会社がクール便の配送を始めたことがきっかけで東京など大都市にも鮮度を保ったまま運べるようになり、少しずつ「美味しい枝豆」として認知されるように。米が値下がりしてきたこともあり、父の代から徐々にだだちゃ豆に力を入れ始める。
だだちゃ豆の認知度が全国的に上がるにつれ、「石塚ファームのだだちゃ豆が美味しいらしい」と聞きつけた百貨店や通販などのバイヤーが直で買い付けにくるように。着実にだだちゃ豆の生産量を拡大していった。
現在、石塚ファームのマーケットの拠点は東京にある。輸入品商社時代に培った営業ノウハウを武器に、直で買い手と繋がるのが石塚さんのスタイルだ。
 
「よく、どうやって顧客開拓してるの?と聞かれることがあるんですけど、そういう時は「電話すればいいじゃない」と答えるんです。バイヤーの方々はいつも新しい商材や情熱のこもった商品をさがしている。直接生産者が話に行くなんてことあまりないですから、逆に喜んでもらえるんですよ。」
農作物の生産をしながら事務作業もこなし、営業まで行う。作る側と売る側、両方を担えるというのが、石塚さんの最大の強みだ。
◇業界内外のつながりを活かして

学生アルバイトのみなさんと石塚さん

一人で何役もこなす一方で、石塚さんは“一人でやりすぎない“というのも意識している。例えば、フリーズドライのだだちゃ豆やお餅などの加工品の製造は自社のみで行わず、専業でやっているところとタッグを組む。また、だだちゃ豆は米に比べ生産量が圧倒的に少ないため品種についての研究がなかなか進まないが、農業関連の論文を読み面白いなと思った教授に自らアタックして研究テーマにしてもらうよう掛け合い、代わりに学生の受け入れを行う。販売という面では商工業者から学ぶことが多いため、農家としては珍しく商工会議所にも所属し、つながりを作る。持ち前のフットワークの軽さと食い込む力、情報収集能力で、幅広い分野の方々と連携をしながら、既存のやり方や常識に縛られないやり方でだだちゃ豆や農業の可能性を模索しているのだ。
もちろん、石塚さんが大事にしているのは別分野の方とのつながりだけでない。個々で頑張っている農業経営者同士を繋げ、お互いにもっとスキルアップして「地域の未来を担う農業」をしたいという思いから、2021年6月に農業者と流通のプロ、販売のプロ、大学の教授や研究者と一緒に「山形魅力農業ネットワーク」として任意団体を設立。月1回勉強会や意見交換を行っている。
 
「その時直接的に売り上げにならなくても、つながりがきっかけで後々になって新しい何かが生まれたり、人と話すことで急に課題の突破口が広がったりすることもある。だから、常にトライしたいんです。」
石塚さんはこう力強く語った。
◇世界の“Dadachamame”を目指して

外国人YouTuberと共演

「美味しい枝豆の日本一、そして世界一になりたいですね。海外にも輸出を広げて、だだちゃ豆を食べに世界中から庄内に人が来るように観光とも結びつけていきたい。そしていつか、世界共通の用語として、辞書に“Dadachamame”という単語が載ったらいいなと思っています。」
今後の目標を尋ねると、石塚さんは海外展開も含めた目標を掲げてくれた。作って販売するだけのフェーズは終わり、だだちゃ豆を活用して地域を盛り上げるステップへ進みたい。そのためにも、飲食店や宿泊施設との連携、そしてメディアを活用した情報発信など、今以上に様々な分野との連携を視野に入れているという。
農作物を生産するだけが農業ではない。経営、販売、商品企画、観光など、やり方次第で様々な切り口があり、多方面にわたって能力が活かせる“マルチな仕事”なのだと感じた。
最後に、食に携わる仕事に興味がある方へのメッセージをお願いすると、石塚さんはこう答えた。
 
「一回、庄内の外を見た方がいい。そうすると、庄内の良さが絶対にわかるし、庄内のことをもっと知りたくなる。まずはそれを体験してほしいです。
ハイテクなものはないかもしれないですけど、都会では手に入らないものが庄内で手に入るかもしれませんよ。」
 
【事業所情報】
名称:石塚ファーム(株式会社 治五左衛門)
場所:997-0836 山形県鶴岡市寺田乙153
アクセス:JR鶴岡駅から車で約15分、庄内空港より車で約22分
駐車場:あり
駐車料金:無料
公式サイト:https://jigozaemon.info/


 

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