「ひと」Cheer!! 〜 「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜

<Cheer !!〜「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜>

vol.5 - 株式会社岡ざき 社長 岡崎 雅也さん

 「食の都庄内」を支える若手料理人やスタッフ、生産者たちの人となりや想いを掘り下げ、庄内の“食”に関わる仕事の魅力をお伝えするシリーズ、<Cheer !!(チアー)〜「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜>。
第五弾である今回お話を伺うのは、鶴岡市美咲町にある飲食店「魚亭 岡ざき」を営む岡崎雅也さんです。
 
鶴岡で“新鮮で美味しい魚が食べられるお店”といえば、真っ先に名前の挙がるお店の一つである「魚亭 岡ざき」。9年前にこのお店を父から受け継いだ岡崎さんは、2021年(令和3年)4月から「みさきの一軒家」というブランドでレトルトや出汁などの加工品の製造・販売を開始。11月には第8回「新東北みやげコンテスト」にて最優秀賞を受賞するなど、その活躍の場を広げています。
 
今回はそんな岡崎さんに、店を継ぐまでの経験や、「みさきの一軒家」ブランド立ち上げに至るまでの経緯などのお話を伺いました。
 
※2022年4月に取材した内容となります。
◇迷いながらも料理の道とはかけ離れた進路に
1980年(昭和55年)、鶴岡市大泉地区生まれ。岡崎さんは、まぐろ漁師の父と和裁の仕事をしていた母の下、2人兄妹の長男として育った。
 
父の仕事の影響もあり、幼い頃から港が身近だった岡崎さん。父がまぐろ船から戻って来るのは年にたった1回程度だったが、その度に家族で静岡の焼津港などへ迎えに行ったという。
岡崎さんが小学校5年生の頃、父が25年続けたまぐろ漁師を辞めることに。それから数年魚売りなどをしたのち、1995年(平成7年)鶴岡市大西町に「魚亭 岡ざき」を創業する。
 
当時中学生だった岡崎さんが打ち込んでいたのはバスケットボール。高校もバスケットボールの強豪校である鶴岡工業高校へと進学、インターハイにも出場したほどの実力の持ち主で、まさに“バスケ一色”といった学生生活を送った。
 
「卒業後は、一度は県外に出てみたいと考えていました。でも東京は怖いので(笑)、仙台の学校に行くことにしたんです。調理師学校に進学するか、家の模様替えとかが好きだったこともあって建築を学ぶかの二択だったのですが、調理師学校は高いし、料理は学ぼうと思えば家でできると思い、建築の道へ進みました。」
 
高校卒業後の進路を尋ねると、意外にも現在の仕事とは全くかけ離れた選択肢を選んだことを話してくれた岡崎さん。仙台にある東北職業能力開発大学校にて4年間建築を学んだのち、知人の紹介で仙台の建設会社へと入社。現場管理の仕事を担当し、二級建築士の資格も取得したという。
 
しかし、しばらく仕事を続けるうちに、現場管理の仕事は自分にはあまり向いてないかなと思い始める。また、学生時代に居酒屋でアルバイトをした経験から、お客様と直接対話できる接客業が自分には向いているのかもしれないという想いが生まれていた。

ちょうどその頃「魚亭 岡ざき」が現在の美咲町へと移転して店舗を拡大したこともあり、徐々に実家に戻ることを意識するように。就職して3〜4年経った頃現場管理の仕事を辞め、いくつかの仕事を経て2007年(平成19年)27歳で地元鶴岡へと戻り、「魚亭 岡ざき」を手伝うことを決意した。
◇実践を積み重ねて料理人へ
「実は修業という修業は一切していないんですよね。」
下積み時代のお話を伺うと、岡崎さんは笑いながらこう答えた。
 
実家に戻るまで料理を学んだり魚をさばいたりしたことはなかったため、戻ってすぐの頃は学生時代に居酒屋でホールスタッフをしていた経験を活かしてホールを担当。当時店にいた板前の仕込みを手伝ったり、父から魚のさばき方を教わったりと、実践を繰り返しながら徐々に料理を覚えたという。料理人としては珍しい経歴に聞こえるが、今では厨房をメインで担当する腕前だ。
料理の技を磨くのと並行して、岡崎さんは店の経営でも手腕を発揮。2012年(平成24年)には「株式会社岡ざき」を設立。メニューの改良を行ったほか、地元メディアを中心に広告出稿をしたり、観光客向けにWEBサイトをリニューアルしたりと発信にも力を入れ、売り上げは右肩上がりに伸びていった。
 
さらに岡崎さんは鶴岡青年会議所の活動にも参加。一大イベントである赤川花火大会では2020年(令和2年)に、第30回大会の実行委員長を務めるなど積極的に取り組み、横のつながりを広げていった。
◇コロナ禍を経て「みさきの一軒家」ができるまで
2021年(令和3年)、コロナ禍において岡崎さんは新たな挑戦を始めた。それが、“庄内浜の美味しい食”をコンセプトに、庄内の四季折々の食材を加工して商品化した「みさきの一軒家」シリーズの製造・販売だ。
 
実は、岡崎さんは5年ほど前も「風土椀(ふうどわん)」というブランドで加工品を製造していた。というのも、食中毒などが一度でも出たらお店を続けていくことができなくなるであろう飲食業のリスクの高さを日々感じていたため、店舗経営以外での柱を作りたいという考えがあったからだ。
 
風土椀では“山形の米どころならではの、お椀に伝わる汁文化”というコンセプトのもと、「庄内風芋煮汁」や「だだちゃ豆味噌汁」などをレトルトにして商品化。2019年(令和元年)の第6回新東北みやげコンテストで入賞もした。しかし、コンテストに出したことで、最優秀賞を受賞した方々と自分たちの歴然とした差を目の当たりにする。
 
「最優秀賞を受賞した人たちの商品と比べるとパッケージにも課題があったし、何より思い入れが薄いなというのを痛感したんです。加工品をやるからには、片手間でやるのではなくもっと自信、想いがないとダメだなと。なので、本気でできるまで少し時間をおこうと思ったんです。」
こうして一度は中止した加工品開発だったが、コロナ禍での大打撃を受け再度取り組むことを決意。赤川花火大会の実行委員の仲間でもある鶴岡のデザイン会社・はんどれいの佐藤天哉専務とともに商品開発を行い、「みさきの一軒家」が誕生した。
 
ラインナップを見ると、「さくらますのコンフィ」「由良穴子の佃煮」など、庄内産の海の幸を使ったまさに“酒の肴”といったイメージの商品が並ぶ。しかしパッケージはとても洗練されており、普段魚介類をあまり食べない人でもおもわず手に取ってみたくなるおしゃれなデザインだ。商品名の「みさき」には、“岬”と、魚亭 岡ざきの位置する“美咲町”の二つの意味をかけた。
 
こうして岡崎さんの想いの詰まった「みさきの一軒家」は、2021年(令和3年)11月の第8回新東北みやげコンテスト最優秀賞を受賞。商品の人気にも後押しされ、12月はコロナ禍の影響を跳ね返し法人化してから一番の売上を記録した。
◇目標は“飲食店から離れること”
加工品開発でリベンジを果たした岡崎さんの次なる目標は、みさきの一軒家の全国展開だ。これまでは庄内町の新産業創造館クラッセにある加工場を借りて商品を製造していたが、この夏からは自社の加工場兼店舗をオープンする予定だという。
 
「ゆくゆくは庄内だけでなく、他の地域の食材と掛け合わせた商品開発もやっていきたいですね。それぞれの地域の事業者さんの盛り上げの一助になれたらと思っています。そしていつか、飲食店から離れるのが目標です(笑)。」
岡崎さんは、ニカッと笑いながら今後の展望を語ってくれた。
 
最後に、食に携わる仕事に興味がある方へのメッセージをお願いすると、岡崎さんはこう答えた。
 
「慌てず、急がず、外に出ていろんなことを学んでから食に携わってもいいと思います。ずっと一つのことだけに集中してしまうと、お客さんと話す時も広がりがなくなってしまう。その時その時で、“今できること”に取り組んでみては。」
 
【店舗情報】
店名:魚亭 岡ざき
場所:〒997-0857 山形県鶴岡市 美咲町2-46
アクセス:山形自動車道「鶴岡IC」より車で約3分、JR羽越本線「鶴岡駅」より車で11分
電話:0235-25-0086
駐車場:あり(20台)
駐車料金:無料
時間:昼:11:30~14:00(LO.13:30)/夜:17:30~24:00(LO.23:00)
定休日:月曜日(祝日の場合は、火曜日)
「魚亭 岡ざき」公式サイト:http://www.sakanatei-okazaki.com/tsuruoka.html
「みさきの一軒家」公式サイト:https://misaki.tsuruoka.city/about

ページトップ