「ひと」Cheer!! 〜 「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜

<Cheer !!〜「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜>

vol.7 - くつろぎ割烹志幡 大江俊彰さん

「食の都庄内」を支える若手料理人やスタッフ、生産者たちの人となりや想いを掘り下げ、庄内の“食”に関わる仕事の魅力をお伝えするシリーズ、<Cheer !!(チアー)〜「食の都庄内」を舞台に輝く人からあなたに〜>。
第七弾である今回お話を伺うのは、酒田市の「くつろぎ割烹志幡」で調理師を務める大江俊彰さんです。
 
大江さんはくつろぎ割烹志幡で修行を続ける傍ら、昨年国家資格である「専門調理師・調理技能士」の試験を26歳の若さで突破。若手日本料理人としてその技術を活かし、庄内の食を盛り上げています。
 
今回はそんな大江さんに、専門調理師・調理技能士の資格を取得するに至った経緯や、日本料理に対する想いなどについてお話を伺いました。
 
※2022年10月に取材した内容となります。

 
◇“一番苦手”だった日本料理の道へ
大江さんは1995年(平成7年)、埼玉県草加市にて産声を上げた。調理師として働く母の姿に憧れ、小学校の頃には漠然と自分も調理師になりたいという夢を持つ。
埼玉生まれ埼玉育ちの大江さんが山形県に来るきっかけとなったのは中学校の頃。三川町に住んでいた母方の祖母が亡くなった際に何週間か庄内で暮らすうちに居心地の良さを感じ、「ここでおじいちゃんと暮らしたいな」と思うように。思い切って母の母校である酒田南高校の家庭科食育調理コースに進学することを決意したという。
3年間の高校生活では、日本料理、西洋料理、中国料理など様々なジャンルの料理をその道のプロたちから学ぶことができる。卒業後日本料理の道へ進むことに決めた大江さんだったが、実は中でも一番苦手だったのが日本料理だという。
「日本料理は食べて美味しいのは当たり前ですが、包丁捌きの繊細さ、剥きもの、飾り切りなど、見て楽しむ、五感で楽しむことができる料理だと思う。苦手ではあったけど克服して、それを伝えていけたらいいなと思いました。」
日本料理の道に進んだ理由を、大江さんはこう話す。

 
◇挫折、そして師匠との出会い
高校を卒業してすぐ鶴岡の旅館へと就職した大江さんだったが、早速現実を突きつけられる。調理師の朝は早く、夜は遅い。当時まだ18歳だった大江さんは、次第に「もっと遊びたい」と思うように。そしてとうとう、調理をするのが嫌になった。
 
その後関西へ行った大江さんは、半年ほど調理のアルバイト生活をしながら過ごす。そうするうちにもう一度日本料理に挑戦したいという気持ちが芽生え、高校時代の講師であった魚匠ダイニング沖海月(鶴岡市加茂)の須田料理長に相談したところ、「くつろぎ割烹志幡」の店主である阿部さんを紹介される。
 
 
阿部さんは笑いながら、
「面接の時、『うちは厳しいから、きっと続かないよ』って言ったんです。そしたら、『いや、続きますから』と。なんだかんだもうじき7年経つので、思いのほか続いていますね。」
と、大江さんについて語ってくれた。
 
当時、阿部さんについていたお弟子さんは5名前後。同年代の方はいないので、大江さんは一番年が近いとは言え、一回り以上年上のお弟子さんの真似をしていたという。

 
「くつろぎ割烹志幡」といえば、飾り切りの繊細さでも有名だ。大江さんもその技を身につけるべく、お店の営業を終えた後に人参を家に持ち帰り、練習を続けた。
一通りの調理ができるようになるまでかかったのは6年ほど。今では阿部さんと二人で調理を切り盛りできるほどに成長した。
「今は30分で10本くらいこういうふうに飾り切りのもとを作ることができるんですよ。教えられているだけでなく、自分で考えて、苦手を克服し、上手くなった実感を得られた時に、調理の仕事の楽しさを感じられる。調理が好きだという大江君の気持ちが上達を支えてくれている。」
師匠である阿部さんは、弟子の成長を嬉しそうに語った。

 
実際に作られたものをいただいてみたが、一品一品丁寧に盛り付けられた料理がずらりと並ぶ。この日は河豚のお刺身、郷土料理のむきそばや芋煮など、地元で採れた旬の食材がふんだんに使われていた。
そしてその料理には、先ほど話していた飾り切りが、彩りと季節感を与えていた。
 
「庄内の食材は近くでとれたものだから新鮮で美味しい。そして、厳しい冬の寒さで食材が育つ。春夏秋冬に合わせた旬のものを料理することができて、喜んでもらえるのは嬉しい。」
と、ここ庄内で調理する醍醐味を大江さんは話してくれた。

 
◇さらなる高みを目指して
調理師として忙しい日々を送る大江さんだが、「令和3年度後期 調理技術技能評価試験」に見事合格し、日本料理の分野における“専門調理師・調理技能士”の称号を得た。これは1982年(昭和57年)に始まった国家試験制度で、調理の技術・技能を⾼め調理師の地位向上を図り、⾷⽂化の発展、国⺠の⾷⽣活の向上・改善に寄与することを目的としている。この称号を持つと、調理師学校の講師にもなれるそうだ。
 
試験は学科と実技に分かれており、実技では「小鯛の姿造り及び網大根を掛ける作業並びに盛り付け」「蟹砧(かにきぬた)巻き及び黄身酢をつくる作業並びに盛り付け」「あなごの八幡巻き及び平打ち作業」など、普通では聞き慣れない言葉が並ぶ。これらをできるようになるにはかなりの鍛錬を要し材料費もかさむため、通常は15年ほど修行した料理長クラスの方が試験を受験をすることが多いという。だが、大江さんは阿部さんの指導を受けながら練習を重ね、受験資格を得られる6年目の時にすぐに受験。ベテランでも緊張してできないことがあるという試験を26歳の若さで突破するという快挙を成し遂げた。
試験内容と同じものを作った写真を拝見すると、その内容は実に繊細で、さながら皿をキャンバスにみたてた芸術作品のよう。まさに“職人技”だ。ここまで辿り着くために、大江さんがしたであろう苦労がうかがえる。
「専門調理師・調理技能士の資格を取ると取らないで、技術にも差があることが証明される。調理師としてのステップアップの一つとして、この資格を取りたいと思ったんです。これを見た同世代の人にとっても向上心を持つきっかけになったら嬉しい。」
 
現在、日本料理の料理人はどんどん減っている。この文化を自分たちの世代で絶やしてはいけない、そして次の世代へ繋げたい。技術だけではなく、そんな阿部さんの“想い”が、修行を通して大江さんに受け継がれていることを感じさせてくれる言葉だった。
◇やるからには日本料理、庄内を盛り上げる存在に
現在調理師として9年目を迎える大江さん。次なる目標は、独立して祖父の住む三川町に自分の店を構えることだという。そのためにもあと2年ほどは阿部さんの元で修行を積みたいと考えている。
 
「やるからには調理師界や日本料理界、庄内をもっと盛り上げたい。時代に合った形を模索して、テイクアウトなどもやっていきたい。」
と、独立に対しての意気込みを力強く、まっすぐな目で語った。
最後に、食に携わる仕事に興味がある方へのメッセージをお願いすると、大江さんはこう答えた。
「好きなことを仕事にできて、それが人に喜んでもらえるというのがこの仕事のいいところ。今は鶴岡市のS-MALLでも一流の料理人たちが料理教室をやっていたり、YouTubeなどを見てどこでも自分で実践してみたりすることもできる。料理が好きだなと思う人は、まず自分でやってみることから始めてみては。」
 
【店舗情報】
店名:くつろぎ割烹志幡
場所:〒998-0838 酒田市山居町1-2-5
アクセス:JR酒田駅から車8分、酒田ICから車12分
電話:0234-23-1655
駐車場:あり(20台)
駐車料金:無料
時間:昼:11:30~14:00/夜:17:30~22:00
定休日:月曜日
公式Facebook:https://www.facebook.com/kappo.shibata/

 

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