「食材」庄内のおいしい食材
夏の食材
庄内メロン
しょうないめろん
庄内砂丘メロンの生育情報や、イベント・メロン狩りなどの観光情報、豆知識など、庄内砂丘メロンに関する情報を総合的に掲載しています。
おいしさの「ヒ・ミ・ツ」
庄内砂丘メロンは東北日本海沿岸に位置する庄内砂丘で栽培されており、春から夏にかけて日照時間が長く、水はけのよい砂丘地、豊富な地下水に恵まれ生育に合わせたかん水ができる、などとメロン栽培に合った条件が整っています。また、歴史あるメロン産地であり第一級の栽培技術を持った生産者が多数おります。
歴史・誕生経過
庄内砂丘地にメロンが導入されたのは大正7年(1918年)頃とされ、北海道など他の産地に劣らない古い歴史を持っています。導入当初は一部の熱心な農家によって試作されていたと推測されます。その後、昭和6年(1931年)9月に五十嵐喜広氏が開設した「七窪思恩園」を中心に結成された「七窪メロン研究会」の指導のもと、砂丘地で栽培が広がりました。研究会では多くの品種を栽培し、当地に合った品種の選定や種子の確保が行われました。昭和10年~11年(1935年~1936年)頃が栽培農家250名以上、栽培面積22ha以上と戦前の栽培最盛期であったようです。メロンの栽培熱の高まりの中で昭和11年(1936年)に農事試験場砂丘試験地※1が創設され、適品種の選定や品種育成が行われました。
戦時中は食糧増産のためメロン栽培は中断されましたが、戦後、生活様式の変化等から高級果実の需要が増加し、メロン栽培の再興が図られました。日野三郎太氏(七窪思恩園園長)は、より美味しい品種を導入するため外国の種子の収集に努力しました。しかし、消費者の嗜好に合致したものがなかなか見当たらなかったため、新品種の開発が行われるようになりました。昭和28年(1953年)から樋口義雄氏(七窪思恩園)、斎藤松太郎氏(西郷村七窪在住※2)、梅木道雄氏(西郷村七窪在住※2)らによってメロンの交配が行われ、昭和29年(1954年)からは農業試験場砂丘分場※1が本格的に品種開発を始めました。
個人育種家、公立試験場で開発された品種には、「あけぼの」、「しろたえ」、「しおん」、「ライフ」、「シルク」、「デーリー」、「出羽ゴールド」、「サンゴールド」、「サンジュエル」があります。
昭和40年(1965年)代以降は、種苗会社が開発した市販の品種が栽培されるようになりました。昭和42年(1967年)頃から増加した「プリンス」、昭和53年(1978年)頃から本格的に栽培された「アンデス」、平成になってから増えてきた赤肉メロンがあります。以前はネットがあれば高級といったイメージでしたが、「アンデス」はネットがあり外観・食味と優れることから一般家庭向け品種として人気を博し、熊本、茨城、庄内が三大産地として知られるようになりました。
※1 農事試験場砂丘試験地、農業試験場砂丘分場:現在の庄内総合支庁農業技術普及課産地研究室
※2 西郷村七窪:現在の鶴岡市下川字七窪
栽培品種
青肉:アンデス、鶴姫、パンナ,庄内キング、アニバーサリー、グレース、キスミー、プリンス
赤肉:夏のクインシー、鶴姫レッド、レノンウエーブ、 マリアージュ、ルピアレッド、赤いアンデス
庄内砂丘メロンができるまで
栽培地
メロンが栽培されているのは、日本海に面し、松林に整然と区切られた庄内砂丘
砂地特有の水はけの良い土壌と、日中の強い日ざし、夜間の涼しさが生み出す寒暖の差がおいしいメロンを育みます。
整枝作業
〇手間のかかる作業がおいしいメロンを作ります〇
庄内のメロンは、栽培に長ける農家の手によって水と肥料、温度の管理が行なわれ、大切に育てられます。
メロンが熟れる7月の砂丘は、真夏の日差しと砂地からの照り返しが激しく、収穫は重労働です。生産者の方々は汗だくになりながら、お盆頃まで出荷を続けます。
選び方
形が整って、お尻の部分の小さいものが上質です。メロンの網目は成長の過程で入るヒビのようなもの。網目が細かく均一に入っているものほど全体がしっかりと熟れており、味や香りにすぐれます。
保存方法と食べ頃の見分け方
美食レシピ
メロンのババロア